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キティでもゲーム作り

 先週金曜までの締め切り&日曜の ImstaFest の資料作りで時間なくて更新できませんでした。日記と違って、毎日更新は大変かも...

ーーーーー
 てなわけで、ゲーム作りコンテストで100万儲けたわけですが、80年代の前半頃はレコード会社がソフト制作に乗り出すケースがありました。Apple II 用じゃないけど、キティレコードも1980年前後にゲームソフトの開発に取り組んでました。

 レコード会社がゲームソフト開発に向かったのは、新しい事好きだったのもあるけど、アニメとか映画の資産を持ってる所が多かったからで、こないだ書いたビクターの他にポニーキャニオンなんかもゲームソフト開発に参入してました。

 キティの場合はアニメの制作を行っていたので、素材&人脈があったのが参入理由でした。最初の時点では純粋なプログラマーの他に私と SF作家の新井素子さん、そして名前忘れちゃったけど推理小説とか好きな放送作家の3人が企画を練ってゲームを開発するって事でスタートしました。

 場所はキティが目黒駅近くに持ってたマンションの一室で、ここに毎週集まってアイディアを出していました。ゲームの内容はわりと最初からアドベンチャーゲームにしようという事でまとまってました。理由は SF作家&推理小説好きの二人にアドベンチャーゲーム好きの私が入った事、それとアドベンチャーゲームだとリアルタイム性はそれほど重視されないので、シビアなマシン語による開発をしなくても済むのではないか?という考えがあったからでした。

 その時、キティが制作したアニメをゲームにするかどうか?も当然検討したんだけど、その場合、まだコンピューターの画面解像度が低く、使用可能な色数にも限界があったため、アニメファンが怒るんじゃない?ってな話になり、オリジナルのグラフィック内容を持つゲームを作るという事になりました。

 確か当時すでにポニーキャニオンがアニメだったか実写系のゲームを出してたんだけど、画面の絵が汚い、とファンから不評だった記憶があります。

 で、色々検討した結果、キャラ的にも可愛くて内容も色々盛り込めるアニマルアドベンチャーという仮称でゲームを作る事になりました。

 このゲームは動物園の色々な動物が事故で町の中に逃げてしまい、それを捕まえて動物園に戻す、という内容。例えばライオンは簡単に見つかるけど捕獲方法が悪いとこちらが死んでしまうとか、鳥は捕獲方法を考えないとすぐに逃げてしまうとか、蛇は家の中のどこかに逃げ込んでいて見つけるのが難しいとか、そんな感じでした。

 アイディア自体は大体出て、仮の画面でプログラミングも始まっていたんだけど、どういうわけか途中で立ち消えになってしまいました。この辺理由は不明...

 結局、アイディア出しをしてた3人はクビになり、プログラマーセクションも開発室の場所を転々とし、最終的に何年も経ってから、うる星やつらのゲームをチョロっと出して解散となったのでした...


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Apple II のゲームを作る

すいません、デモ曲作りの追い込みで blog 一日休んでしまった。おかげでアニメの劇中で歌われる曲、大体決定しました。

朝、寝ぼけた目で新聞見たら、11月の SF 系イベントの記事が…うちうちのパーティーですから内緒でって話だと思ってたんだが…しかも内容まで書かれてるし…というわけで、これ、イベントっつ~より追悼なんですけどね。小松左京先生を宇宙に送り出す会。これのロケット発射の音楽を監督の樋口さんに頼まれてたのでした。

で、続き…1984年に Apple IIc を買った頃になると、日本国内でもパソコンゲーム市場が活性化し始め、パソコンゲームプログラムコンテストなんてのが、ゲームメーカーなんか主催で開催されるようになったんですね。

そんな中、ビクターが主催していた原宿音楽祭なるイベントにもゲームプログラムコンテスト部門ってのができたんだけど、レコード会社主催のゲームコンテストってどうなんだろ?なんて思ってたら、案の定、ネタが集まってないから、入賞確立高いかも説が出たのです。

その頃、私は前にも書いた西武の楽器・コンピューター売り場の人の紹介で、池袋西武のコミニティカレッジってカルチャースクールでアナログシンセを教えてて、毎週池袋に通ってたわけ。

そしたら西武のパソコン売り場に通い詰めてる中学生が、売り場の MZ-80(シャープのパソコン)をいじって作ったゲームが売れて、中学生なのに100万円稼いだって話を聞き、その男の子を紹介してもらったのです。紹介された時には既に彼は高校生になってたんだけど…

それが現在 U-Ske の筆名で音楽活動してる浅田祐介君だったのです。

で、浅田君に「もしかして受賞できるかもしれんぞ!」と持ちかけたら「ゲーム作りましょう!」って話になり、私がプロデュースと音楽と演奏ルーチンプログラム、浅田君が全体のプログラミング、グラフィックスをポパイとかの表紙を描いてたグラフィックデザイナーの岡本博(現在はトイズマッコイでウルトラマニアックなフィギュア作ってます)さんにお願いして Apple II で「Miracle」なるグラフィックアドベンチャーゲームを作ったのでした。

このゲームは予想通り原宿音楽祭ゲームプログラム部門で大賞を受賞し、優勝賞金の100万円をみんなで山分けして「やった~!」となったのであった。

でも100万貰っちゃったらゲームはどうでもよくなって、製品版を完成させないままほったらかしたのであった…

浅田君はその後、ゲームプログラマーか CG アーティストになると思ってたら、いつの間にかミュージシャンになってたのでした。何か出来る奴ってのは、他のジャンルでも才能を発揮するもんです。




MacPaint に驚くも Apple IIc を買う

 初代 Mac に同梱されてたソフトとして有名なのが MacPaint なわけで、現在のペイント系ソフトの源流と言えるわけです。同じ同梱ソフトの MacWrite は見ればわかるようにワープロなわけでしたが、それでも当時ワープロって何?的な事を言う人は一般に多かったわけです...

 で、MacPaint だけど「凄いけど、これで本当に絵がかけるわけ?」というのが当時の大多数の疑問でした。デジタイザやスキャナーが無い状態で、マウスだけで絵が描けるのだろうか?ってわけです。

 その頃、Apple II には既に Apple 社純正やサードパーティーのデジタイザーが存在してて、サードパーティー製の中には Apple II のゲームパッドのボリューム機能を利用して XY のポイントを拾って来るなんていう面白い製品もありました。ちなみに Apple II 純正デジタイザーは当時29万8千円でした。

 そんな時、たまたま遊びに行ったハイテックスで CG アーティストの藤幡正樹さんに紹介されました。藤幡さんは MacPaint を使って飛行機の絵を描く方法を教えてくれたんだけど、それはまず涙のような形(後方の幅が徐々に狭まり、前方は丸くなっている)を横方向に描き、その真ん中辺から前方(丸くなってる方)までを投げ縄ツールで囲んで、オプションキーを押しながら移動。すると、涙の形が長くなって飛行機の機体の形が描ける、という方法を教えてくれました。

 あ~~、なるほどね~~~!と感動しまくったわけです。ちなみに、それがご縁で私は藤幡さんがやった西武デパートのテレビコマーシャルの音楽とか書いてます。

 と、感動はしたんですが「オレ、絵は描かんしなあ」なんてわけで、その直後の1984年の7月に私が買ったのは、発売されたばかりの Apple IIc でした。IIc は持ち運び可能なハンドル付の機種で 2011 年宇宙の旅の画面にも登場するコンピューターです。

 私が買った IIc は日本販売の一台目で、キャンペーン期間中は特製のショルダーケースと当時の代理店だったキャノンが作った Apple II の本と、オリジナルアドベンチャーゲームのディスクがオマケで付いてました。

 で、私は IIc が入荷した次の日に買ったわけだけど、実はその時、1985年に筑波であった科学万博のキャンペーン(キャンペーンは前年の1984年からスタートしていた)のために仙台に行かなきゃいけなかったんですよ。でも Apple IIc いじりたいからって、新幹線に乗る前にハイテックスに行って、IIc 持って新幹線に飛び乗り仙台に行ったのであった...

 仙台のホテルで IIc をいじれるかと思ったけど、テレビにはコネクターが無くて何も出来ず、とりあえず電源を入れてフロッピーディスクだけ読ませ、ランプの点灯と読み込みの音を聞きながら、悲しく楽しんだのでした...

 IIc はキャリングケースに入れて運べるとは言え、結構重く、仙台に泊まりがけで行くための荷物と一緒に持って新幹線に乗ったら、疲れまくって、宿泊先のホテルでパニック発作起こして大変でございました...

 でもイベント終了後、しっかり仙台の町の古いオモチャ屋を探してサンダーバードやタイムトンネルの絶版プラモが店の片隅に残ってないかチェックしたりしたんですが...





Mac が出たけど

 こないだの blog に書いた Apple Fest のチラシにもあるように Lisa は既に発売されてたけど、なにせ高いし、問題が多いと評判になっちゃうし、そもそも何に使うの?というわけで、売れてないという話は諸方に流れてました。

 その後、後継機が出るの出ないのって話も噂に出てて、それが1984年に登場した初代 Mac だったわけです。まだ当時は日本とアメリカでの情報時間差は大きく、有名なリドリースコットが作った1984のコマーシャルも、テレビ放映後だいぶ経ってから「なんか画期的なコマーシャルが流れたらしいぜ」という話が出たわけで、その時すぐに日本でも凄い話題になってたと勘違いしてる人もいるみたいだけど、リアルタイムであの CM で大騒ぎしたのはせいぜい広告代理店くらいだったわけです。

 むしろ Apple のテレビコマーシャルで話題になったのは、当時の Apple の最大の敵だった IBM をこきおろす CM シリーズで、散々 IBM をバカにするようなコマーシャルを流したら、IBM が対抗してブルドーザーがリンゴの木をなぎ倒して行く CM が流れたとか、そんなのがマニアの間では話に出てました。

 初代 Mac が発売された頃、日本の Apple ショップというと、東京では ESD ラボラトリーから飛び出した人達が関わったハイテックスという小伝馬町のお店が有名で、私もここで Mac にお目にかかったわけです。

 とにかく最初に見て「何に使うわけ?これ」が第一印象でした。特にそれまでの Apple II にあった拡張スロットを一切排し、画面は解像度は高いけどモノクロの上に、中を一切いじれない仕様になっていたのは、昔からの Apple ファンの反感を買ったわけです。

 初期の Mac には同梱ソフトとして MacWrite と MacPaint が付いてました。さらに凄かったのが解説用のディスクが付いてるんだけど、これはプログラムをスタートしたと同時に同梱のカセットテープをプレイすると、カセットの音声に合わせて画面に順次解説が出て来るという、デジタルなんだかアナログなんだか良く分からんチュートリアルが付いてました。

 その頃のカセットは個体差があって、微妙にテープスピードが違うんで、安っちいカセットで音を鳴らしながら見てると、段々と絵と音がズレて行くという、まあ中々ホノボノとした時代ではあったわけですね。




妙な方向に走り出すコンピューター文化

 それまでのゲームは所謂、反射神経系の物が中心だったわけですが、Apple II のゲームにはシミュレーションゲームやアドベンチャーゲーム、それに RPG が多く出るようになりました。

 シミュレーションゲームの中には「Three Mile Island」なんていう原発シミュレーションもあり、当時随分話題になりました。

 こう言ったゲームはマイコンマニアが日々楽しんでいたわけですが、1982~3年あたりになると、大ヒットゲームが登場し、それに伴ってスタープログラマーが登場して来ます。例えばこないだの blog にもソフトの写真を載せた Bill Budge(ビルバッジ)や、ナジアジェベリ(筆名だっけ?)、Paul Lutus と言った人達は自分たちで作ったソフトを当時あちこちに出来たマイコンショップの流通網に乗せて大儲けをしたわけです。

 さらに、その元になるマイコンを作った Steve Jobs & Steve Wozniak はアメリカンドリームの達成者としてコンピューターとは関係ない方面で、コンピューターとは何かも知らない人達によって取り上げられるようになり始め、初期からマイコンと格闘して来たマニアの人達は「???」な状況になって来ました。

 ま、いわゆるカルチャー系ってんですか?

 元々のマイコンファンとは関係なく、オシャレなカフェバー(死語)で中途半端に理解したマイコンの話を繰り広げるトレンド野郎(これも死語か?)が出て来たわけですよ、これが!

 知的という言葉を振りかざしながら、風呂に入るのが嫌いなマイコンマニアを涼しい目で見る人々は、しかし確実に一般の人達の興味を引きつけ、ついでにお金も引き出したってわけです。

 最初の異変は多分、旺文社が出した「Two Steves & Apple」って本で、コンピューターを別な角度から捉えた本だったわけだけど、当然ソフトやハードに対する突っ込みは浅く、マニアにはスカ本と呼ばれたわけですが、六本木の青山ブックセンターあたりじゃ、ド~~ンと目立つ場所に置かれてたわけです。

 その頃、マニアな仲間とトレンドな人達の中間にいた私は、それでもマニアな方に所属しつつ「どうなっちゃうの、これ?」みたいな気持ちになったわけです。

 それまでは Ascii や I/O と言った硬派なコンピューター雑誌は、毎号表紙がコンピューターの基板だったりしたのに、新創刊されるコンピューター雑誌には「こいつ絶対コンピューターの事、電子計算機とか言うよな?」みたいなアイドルが登場し、昔からのマイコンマニアは悔しさからの歯ぎしりのために、歯医者さんの景気が良くなったのならなかったの...

 とまあ、そういうとても屈折した状況がピークに達しつつあった頃、Apple から Mac が登場したわけです。




Apple 社オリジナルのゲーム

 本家 Apple も Apple II 用のゲームをいくつか出してました。こないだのインベーダーモドキもそうだけど、最も初期の頃はレモネードっていう、レモネード作りシミュレーションみたいなゲームをカセットでコンピューター本体に同梱してました。

 これはレモネードのお店を経営して、コストやお天気や広告費を考えて毎日レモネードを売るゲームで、iOS 版で当時の雰囲気を残して作ったのが出てます →→→ Lemonade Stand - Maverick Software LLC



 StarTrek のシミュレーションゲームも Apple がカセット供給してたはずで、こりゃ著作権無視っぽかったですが、当時は「外国製のコンピューターで StarTrek のシミュレーションゲームをやる」というのがコンピューターマニアのステータスだったりしました。なにせ英語な上に Apple II が高かったですから...

 その後、フロッピーディスクベースの Apple 社製ゲームは以下のようなのがありました。

Galactic Wars   The Wreck of the BSM Pandora



 確かどっちもシミュレーションゲームだったと思います。ちなみに Apple 製じゃないけど Apple II 用でフロッピーベースの最古のシミュレーションゲームは以下の Galactic Saga のシリーズじゃないか?と思います。1979年に発売になってたはずなんで、当時としては超最先端でした。

Galactic Empire



 また、Apple II は教育市場にも人気があったので、音楽教育向けのソフトとして以下のようなのもありました。

Apple Music Theory





Apple II のエッチゲーム etc

 ビデオが事実上はエッチなビデオを密かに見たい!という欲求によって栄えたように、コンピューターもエッチネタが出て来たわけです。

 Apple II のエッチゲームとしては前述のオンラインシステムの SoftPorn が有名なんだけど、みんなの期待に反してこれはただのテキストアドベンチャーゲームでした。なので英語できないとアウト~!という訳ですが、ついついジャケットに釣られて買っちゃったりするわけです。

 下の左側が初期バージョンでただのイラストだけのパッケージ、右側が一般的に有名になったパッケージです。

Softporn1.jpg  Softporn2.jpg


 他のエッチゲームとしては、パーティーゲーム系で、カップルが Apple II を操作すると、二人にピッタリなプレイを教えてくれるソフトとして以下のようなのがありました。

Interlude.jpg



 この辺は今の AppStore なんかだと絶対に載せてもらえなさそうな内容だけど、当時はなんでも OK な感じでした。

 あと、日本のソフトで古いゲームが復刻されて、そこそこ流行ってるみたいだけど、権利的に絶対無理という説が出てたのが、下のミステリーハウス。本家ミステリーハウスはオンラインシステムが作ってたアドベンチャーゲームなので、復刻は無理ですとの話でした。このソフトを出してたマイクロキャビンという会社は日本のアドベンチャーゲームを沢山作ってた会社で、中々良い感じのソフトがあったので、内緒で出して欲しいなあ、とか思ったりします。

Mystery House





Apple II のゲームの話:2

 こないだ書いた blog で、そうる透とハマッた AutoBahn のジャケットはこれ ↓

AutoBahn


 それからパックマンもどきを2つほど ↓

PuckMan  Gobbler



 で、アドベンチャーゲームの方は、丁度 TPO1 でフェアライト CMI を導入した時、代官山の仮設スタジオに CMI の音色管理用に Apple II を使ってはどうか?という事で誰かが持ち込んだオンラインシステムの HiRes Adventure シリーズの Mission Asteroid ってゲームをいじったのが最初でした。

 Mission Asteroid のパッケージは ↓

Mission Asteroid


 これまた、簡単な解説だけで一体どうやってゲームやんだか全然分からん!な状態に...みんなフェアライトで音楽作る事すっぽかして、このゲームを先に進める事にいそしんだのであった。

 ゲームはスタートすると建物の外にいて、ドアを開けて中に入るまでは簡単に分かる、だけどそこでパスワードを言わないと奥に行けない。でパスワードどこよ?ってな話なわけです。

 これにはまってアドベンチャーゲームはオモロイ!ってわけで、色々なアドベンチャーゲームを買ってはスタジオに持ち込み、みんなして夢中に...

 他のアドベンチャーゲームのパッケージなぞいくつか...まず、同じオンラインシステムのウィザード&プリンセス。これは日本語版も出ました。

 左から、最も初期のショボイパッケージ(でもきっと一番ビンテージ)、次が第二世代、右のが日本語版でも共通に使われたパッケージです。

Wizard&Princess old  Wizard and the Princess 2  Wizard and the Princess



 このウィザード&プリンセスは、日本語版の FM-8 バージョンも買ってみたんだけど、とにかく表示が遅い!一歩移動する毎に描画に30秒以上かかるという激怒もんのソフトでございました。

 逆に Apple II で描画が以上に速いと話題になったのが、下のマスカレードってアドベンチャーゲーム。これはフェニックスソフトウェアって会社が出してたんだけど、この会社のシリーズはみんな描画が速いんですよ。ウィザード&プリンセスとかは、全部ライン文とかで描いた線画の中をペイント文で色を塗って行く方式なんだけど、マスカレードのシリーズは縦と横に一回ずつザッ、ザッと絵が描かれるようになってて、何らかの画像圧縮アルゴリズムが使われてたんだと思うわけです。

 でパッケージは ↓

Masquerade


 というようなわけで、アドベンチャーゲームにはまったわけですが、また続きはまた明日...




Apple II のゲームの話:1

 1983年前後というのは、まだゲームと言えばインベーダーみたいな撃ち落とし系な物や、レーシングゲームみたいな物が一般的だったんだけど、Apple II のゲームには RPG やアドベンチャーゲームとかが登場し始めていたわけです。

 ちなみに下は当時のゲーム価格表なんだけど、例えばシリウスのブラックプール(Blade of Black Pool)やシェラオンライン(初期はオンラインシステムズと言った)のハイレスアドベンチャーなんかが、アドベンチャーゲームの元祖でした。


Apple II Game Price List


 これら RPG やアドベンチャーゲームは、その頃「これって一体どういうゲームなわけ?」と画面に表示されるグラフィックの意味が分からず、扱いディーラーからうちにフロッピーディスクのコピーが届いて「解析してくれ!」と頼まれたりしたのでした。まあ、違法なのかどうかスレスレな話なんだけど、プライスリストを見ると分かるようにソフト作ってる会社もギャラクシアンとかパックマンの真似ソフトを無許可で作ってたわけだし、そもそも御本家 Apple もインベーダーのパクリソフトを作ってたわけです。下のグラフィックは Apple 社製のインベーダーね。

Apple Stellar Invaders


 RPG は、海外で D&D なんかがあるというのは知っていたんで、それの延長上の物だろうという予測はついてたけど、いざ渡されると悩みました。最初に渡されたのがカリフォルニアパシフィック(後のオリジンシステム)って所から出てたアカラベスってゲーム。これは今の Ultima シリーズの起源となるゲームで、地表を俯瞰の 2D マップ、地中を 3D で表示するという物なわけだけど、とにかくいきなり渡されてもどうやんのこれ?という状況。

 なにせ初期のゲームはパッケージもちゃんとしてなくて、それが一体どういう物なのか?わからない事も多かったのです。例えば下の画像は、同じカリフォルニアパシフィックから発売されてたゲームに同梱されてたジャケット代わりの絵なんだけど、これが正面に入ってて、後ろ側にフロッピーディスクが入ってるビニール袋がパソコンショップにぶら下げられて売られてたわけです。

Space Album


 アカラベスは随分悩んだけど、やる事は分かった!みたいな感じだったけど、アドベンチャーゲームになると、英語表示な上に、アドベンチャーゲーム特有のコマンド入力方法が分からず悩みました。その話は明日に続く...






Apple Fest、コンピューターフェア

 フロッピーディスクの Disk II を買った後くらい、恐らく1982~3年頃になると、マイコンは一般にも多少は認知されるようになり始め、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのあった西武デパートなんかでは催事場を使ったコンピューターフェアなんかを開催しました。

 その頃はコンピューターと言ってもまともに何かが出来る機種というと Apple II がメインだったため、初期の西武コンピューターフェアはほとんど Apple フェアと言っても良いような状況でした。

 もうひとつ、コンピューターフェアをやっていたのが、昨日も書いた Apple II の当時の輸入元だった ESD ラボラトリーで、こちらは Apple Fest なるイベントをやっていました。2009年の blog にも書いたけど、恐らく1983年に開催された第三回 Apple Fest のチラシを再掲します。

AppleFest3rd.jpg


 この時は後楽園のイベント会場を2フロア使った小規模な催事でしたが、後に Mac の日本語化に貢献した SweetJAM なんて言う FEP の開発者の人が独自にブース持って客引きしたり、私はちょうど TPO1 の CD が出た後だったので、その中で歌をうたわせている Echo-II とかをデモしたり Apple II 用のシンセ Alpha Syntauri をデモしたりしました。

 この翌年になると Apple Fest の方は Mac も出た関係でオシャレな原宿のモリハナエビルのイベント会場に移って行われたりしました。

 西武(池袋)の方のイベントは少なくとも2回は行われてて、デパートのイベントとしては異例の大規模な物でした。1回目は上記の如くほとんど Apple II フェストと言っても良いくらいの内容で、Apple II 関連のインターフェイスやゲームソフトを扱うスタークラフトとかが出展して楽しい雰囲気でした。

 その翌年行われた西武コンピューターフェアはド~ンと規模が大きくなり、私はフェアライトを持ち込んでデモしたりしたんだけど、それだけのために特別な巨大プロジェクターとか用意され、Apple II 以外にも国産の機種でゲームだけじゃなくて環境監視プログラムみたいなのまで展示されていました。

 池袋西武はコンピューターと音楽に力を入れてるフロアがあり、そこのコンピューターコーナーもまた Apple II のショップの様相を呈していました。実はこの辺を入れ知恵してたのは私で、楽器コーナーの派遣担当者にコンピューターと音楽の事を教え、彼が企画を練ってイベントをやって、かなりの集客があったのでした。そのおかげで彼は派遣で行ってたはずなのに、西武の正社員になっちゃって、更に昇進して結構偉くなったはず...





Apple II のソフトを買う

 そう言えば、Apple II を最初に買ったのは ESD ラボラトリーという湯島にあるパソコンショップでした。初期の Apple ユーザーは大体ここのお世話になってたはず。ESD は Apple II 以外にも Kim-1 とかってワンボードコンピューターなんかも扱ってて、一時期は秋葉原の外れにもショップがあり、当時はコンピューターショップの数少ない女性の一人、通称手塚お姉様もいらっしゃいました。

 で、再び Apple II を買った私ですが、今度は Disk II も買ったのでフロッピーディスクベースのゲームも購入するように...この頃になるとお茶の水に PineApple 6502 っていう店が出来て、私はここでソフトを買う事が多かったです。パイナップル 6502 は JR お茶の水駅から2~3分のワンルームマンションが店で、ショップオーナーの桃園さんは昔、紅蜥蜴(有名なグループ、リザードの前身)なるバンドにいた人で、元ファンだった奥さんと一緒にお店を運営するという、ほのぼのとした場所でした。

 桃園さんはその後、Amiga の本とかも出し、さらにウゴウゴルーガ等の CG を Amiga で作っていた人として有名になりました。

 私はその頃、銀座あたりのスタジオでレコーディングの仕事があると、取っ払いのギャラ握りしめてパイナップル6502に行き、ギャラがそのまま Apple II のソフトになるという日々を送っておりました。

 最初の頃に買ったソフトは Sirius のアウトバーンとか...これはレーシングゲームなんだけど、当時やってたバンドのクロスウィンドのドラマーだった、そうる透とかがうちに遊びに来ては、このゲームをやっとりました。そうる透君の家は私の家から結構近くて、バンドのライブが終わると彼の車で機材と共に送ってもらい、明け方まで一緒にゲームしてたのであった...




Apple II 売って FM-8 買って、また Apple II 買った

 昨日書いたように Apple II の初期のゲームはカセットテープのデータとして販売されてて、容量も少なく、内容的にも単純な物ばっかりで、ちょっと飽きてたのでした。

 そこへ色の奇麗な FM-8 が富士通から登場。しかもオプションで最先端のバブルメモリーが搭載できる!雑誌の I/O には当時有名だったパソコンゲームのスタートレック拡張版でスポックとかの絵が出るプログラムのソースコードが出てる!というわけで、裏切って Apple II を売り飛ばし、そのお金で FM-8 を買ったのであった(すんません)。

 FM-8 はそりゃあ色奇麗でしたよ!だけど、描画速度の遅いのなんのって...君、本当に Dual CPU なの?って感じ。スペック的には CPU が2つ乗ってて、うまく使い分ければ凄く速いはずなのに、クソ遅い!しかも2つの CPU間の共有 RAM が128 Byte だったか、そのくらいしかなくて、更に相手側 CPU にデータ渡すのに YAMAUCHI なる謎のコードを入力するっていう、なんだよこりゃ!みたいな...

 とりあえず吾妻ひでおの画集の絵をサランラップに写し取って、それをディスプレイに貼り付けて、ドットを打って Line 文で線を引いて色塗って絵を描いてみたけど、1つ描いて挫折!

 さらにゲームも光栄が初期のカセットテープゲームで、シミュレーションゲームとか出してたけど、普通に遊べるのはそのくらいで...そのゲームもノルマンディ上陸作戦みたいな感じのやつなのに、負ける時に「え~、うっそ~、やっだ~」みたいな当時の女子大生言葉(この頃は女子大生ブームだったのだ)とか出て来たりして...

 Apple II を売って FM-8 を買って1ヶ月後「そうか、コンピューターってのはソフトで動くんだ!」と痛感し、中古の Apple II を再び購入して、周囲の人々にバカにされまくったのでした。

 でも、その時は本体と一緒に Disk II も購入したので、そろそろ登場し始めていたフロッピーディスクゲームも買ったので、楽しめるゲームも増えて行ったのであった...





Apple II を買った頃

 私が Apple II を最初に買ったのは 1978 年頃で、丁度アルバイトしてたローランドが秋葉原に移り、その1階上にパソコンショップ(アスターインターナショナルだったか?)があったのが原因でした。

 その頃のローランドは丁度ボコーダーの VP-330 の試作に入ってた頃で、試作基板の VP-330 にはア、イ、ウ、エ、オの発音できるプリセットボタンが付いてました(製品ではアの発音のみ)。

 当時のローランドにはシンセシストの神谷重徳さんが良く来てたんだけど、神谷さんはコンピューター大好き人間で、神谷さんと一緒に1階上のアスターに行ったら Apple II が置いてあって、彼はそこでカセットテープ(ソフテープ社だったか)のゲームプログラムを買ったんだけど、それは LoRes(Apple II は解像度が低い代わりに色数の多い LoRes モードと、解像度が高い代わりに色数の少ない HiRes モードがあった)画面で、左右にドット絵の宇宙船があってお互いに打ち合いするって物でした。今のように画面がスクロールするでもなく、単調な物なんだけど、当時としては画期的だったわけで、私も Apple II が欲しい!!!とかなっちゃったわけです。

 で、当然購入。当時の Apple II は大分値段が下がって来た頃で本体が29万8千円とかだったと思った...Apple II を買った頃、上智のバンドで岩崎工氏とかと一緒にウェザーリポートのコピーバンドをやってて、そのバンドで一緒だった福永柏(後に TPO で一緒にやった)氏がローランドに遊びに来てた時に、一緒にアスターに行って Apple II を買ったんだけど、後に福永君がみんなに「安西君はいきなり Apple II 買っちゃったんだよ」と驚きの言葉を述べていたのであった。

 私にしてみれば熟慮の末の購入だったんだけど、なんかその時の雰囲気で、福永君には私が近所にチョコレートでも買いに行く感じで Apple II を買ったように見えたらしいです。

 とにかく Apple II を買って来て早速あれこれとテープのゲームを買い込んで来ては、読み込ませて遊んだわけです。

 だけど、テープからデータを読み込ませるのは結構面倒だし、規模の大きなゲームは出来ない!しばし遊んでたけど、意外と早く飽きてしまったのでした。

 そんな時登場したのが富士通の FM-8。これはグラフィックスの解像度も高く色数が多いので、そりゃあ画面が派手に見えました!!!対する Apple II は解像度が低く、色がにじむという問題があったのでした。これはメモリー容量を節約するために、画面上にドットを打つ時に一定の法則があり、その方式だと例えば白の斜めの線を書こうとすると絶対に下に紫のドットが入っちゃったりという制約があったのでした。

 今にして思うと、この制限から来る色のにじみは凄く面白くて、最近のコンピューターではエミュレーターを使わない限り再現するのが難しいという不思議な色彩空間が出来たんだけど、当時はアニメのイラストみたいに奇麗な絵がパソコン上で見たい!!!とかいう思いが強く、それが可能だった FM-8 にフラフラと浮気したのでした...

 続く...




H68TR を買った頃

 でまあ、とりあえず日立の H68TR を買ったわけですが、こいつの TR はトレーニングキットの事で、あくまでコンピューターのお勉強をしましょうというコンセプト。

 とは言っても簡易コンソールが付いてて、こいつを使ってマシン語かアセンブラでプログラムが入力出来ました。表示はブルーの蛍光表示ユニットに文字が出るしかけ。アルファベットも記号化して強引に表示するってな感じでしたが、まあ結構楽しめました。

 いずれにしてもアセンブラでプログラムを書くしかないんで、気合いで覚えましたよアセンブラ。でもその頃、NHK のコンピューター講座とかではフォートランを教えてて、その後 Basic っつ~便利な言語が出た!とあちこちのコンピューターに Basic 搭載の物が出て来ました。

 H68TR もその後、Basic & テレビインターフェイス、ROM/RAM 拡張ボードが出て Basic のプログラムをカラーで表示出来るようになりました。ボードは本体を含めて3枚なわけで、これを秋葉で買って来たコネクターに差し、コネクター間の100本くらいある接続は全部自分でハンダ付けして作りました。

 この Basic は当時としては結構良い感じにカラー表示出来たんだけど、表示が遅い!なので、計算だけ Basic でやらして、テレビに表示させる部分だけマシン語で書いて Basic から呼び出して使ってました。

 一応、ブロック崩しとか作って遊んでたんだけど、今考えると、あの時代だったらあれで充分売り物になったんだろうなあ?とか思ったりします。

 この H68TR は当時新宿にあったムーンベースなるマイコンショップで購入。お店の名前に引かれて買いに行ったのか?はたまた当時のローランド開発室が下高井戸にあったんで、ローランドのアルバイト帰りに買いに行ったのか?どうも覚えてません。

 続く...




Before Apple II

 今日は、フウジンライジンのデモ曲の歌レコーディング。先週やったのの続きなんで、結構あっさり行けました!

 さて、昨日書いたように Apple がらみのコンピューターの話などをつらつらと...と言っても個人史を書いてもつまらないので、全体の流れなんぞ書いてみましょう。

 Apple は Mac 以前に Apple II(その前は Apple I)というコンピューターを出してたわけだけど、Apple が出来る以前は他社のコンピューターが色々と出てたわけです。時期的には1970年代中頃で、私はその頃、高校を病気(当時は病名が分からなかったけど、90年代後半にパニック障害と判明)で中退し、16歳の時にローランドの技術開発室に転がり込んで、テスト用基板のハンダ付けするアルバイトをしてたわけです。

 で、この頃、ローランドもコンピューターを使用した楽器の研究を始めたわけだけど、当時のコンピューターはマイコン(マイクロコンピューターとマイ=自分の、コンピューターを掛け合わせた言葉)と呼ばれてました。

 当時のマイコンは今のように色々なインターフェイスが付いてたわけではなく、基板むき出しの物が多く、こういうのはワンボードマイコンとか呼ばれてたわけです。例えば以前書いた blog に書いてある H68-TR とかがそれ。

 H68TR は結構後に出たやつなんで、電卓みたいなキーボードが付いてるけど、最初の頃の物は何も付いてませんでした。

 ローランドの東京開発室が購入したマイコンが SC/MP(スキャンプ)で、これにスイッチと LED をくっつけてプログラム出来るコンピューターを作って実験したりしてました。

 アメリカでは IMSAI-8080 や Altair ってコンピューターが出て、これらは基板だけじゃなくて、ケースに LED とスイッチがドカ~ンとくっついたモロに SF な世界のコンピューターでした。

 その頃はまだ海外の情報が乏しかったわけですが Imsai だのが出た頃、日本では NEC の TK-80 だとか富士通のL-Kit とかが出て来て、私が最初に買ったのは上記の blog にもある日立の H68-TR ってやつだったわけ。

 H68-TR が出た頃、海外のコンピューターショーで凄いコンピューターが出たぞ!って話題が出たのが Apple-II でした。ただ、当時のマイコンが基板か、良くてもシャーシにスイッチと LED が並んだ SF チックな外見だったのに対して Apple-II は写真で見る限り、ただのタイプライターにしか見えなかったわけで「なぜこれが凄いんだ?」って思ったりしたわけです。

 続く...




Thank you Steve!

 11月の SF 系イベントのナレーション録音で青山のスタジオへ。ナレーターは松尾さん、関係者として漫画家のとりみきさんも来ておられました。

 ナレーションは30分ほどで収録完了。ナレーションの感じからすると冨田さんのサウンドみたいになっちゃいそうで怖いですが...

 その後、ブラブラと歩いて渋谷へ行き、ドトールで食事。そう言えば、渋谷の Apple Store の Genius Bar で今度のアニメのレコーディングで使うソフトの事を聞いてみようかな?と思って、ドトールから iPod Touch でアップルのサイトにつないだらスティーブジョブス氏の訃報が...結構喫茶店でウルウルきそうになり、ヤバかった...

 何を書いていいか...とりあえず今日は、明日のレコーディングの音録らなきゃいけなくて時間が無かったんで、明日の blog に Apple と私についてでも書いてみようかと思ってます。

 ありがとうスティーブ!




凄い雨だった

 今日はフウジンライジンのライブで青山へ...

 にしても雨が凄くて、寒い!!!行きは風も強くて駅まで行くだけでズブ濡れになってしまいました。

 私は足のつま先が冷えると胃が痛くなる事が多いので、用心のために靴に入れるホカロンを使って防備!足がホカホカで良かったです。

 青山も寒くて雨で、道路に人誰もいない!というわけで、本日のライブはさすがに空いてました。ま、こういう時もあらあね、という感じ。

 家帰って来たら疲れてグッタリ。ソファで本読んでたら、うたた寝して今目が覚めた!これからちゃんと寝るです!




アニメの打ち合わせ

 来年の4月新番組の音楽打ち合わせで、六本木へ...一話だけ歌が多く入る回があって、それは曲先行で作らないと絵が合わせられないので、まずはメロを作って、絵を作り、その絵に合わせてさらに伴奏を細かく付けて行くという作業をする事になりました。

 番組のパイロット版の方も制作予定で、こっちは12月中旬くらいに音アップ目標。さらに番組中で度々現れるメロディーの1節を作らねば(これ第2案もボツった)。

 さらに来年の別企画も頼まれたので、フウジンライジンも含めて、うまくスケジュール調整しないと大変な事になりそう。まあ、いつも大変な事になってから「あの時のオレのバカバカ!もっと先行してやってれば良いのに!」となるわけですが...

 ほら、夏休みの宿題は8月31日にならないとやらない私でしたからして...




ピアノ講座2回目

本日は大森のピアノ教室の2回目でした。

今日はひとり6歳の子が体験で、ちょこっと習いに来たんだけど、1~2年前から習ってたそうで、結構上手い!

初見もきくし、鍵盤をガッチリ弾くんで、ちゃんとピアノがガッチリ鳴るという…小さいので勢いでガンガン弾いちゃってるんで、クラシックの先生には怒られそうですけどね。ま、しかしポピュラーは勢いで弾いちゃった方がリズムが良くなるからなあ。

勢いと優しい弾き方が、両立できれば一番ですがね。

ところで昨日ソニーの話書いたら、今日はレグザのニュースが…ハイビジョンより解像度高いテレビと、スレート発表。テレビはハイビジョンを補完して高解像度にするらしいけど、それよりウリになるコンテンツがないと…

というわけで、現在準備中のアニメをコンテンツ用にいかがでしょうか?>レグザ担当者様(笑)




新 Kindle 欲しいかも...

 来年四月からのアニメ、15話分の決定稿をチョコチョコと読んでます。結構面白いのでは???と思うのですが、iPad とか iPod Touch で見るより Kindle の e-ink の奴で見てみたい!

 あの値段だったらみんな買うだろうなあ...カラーの物は iPad で見るから、純粋に文字だけの資料とかは Kindle で読んでみたいなあ...

 それにしても Kindle の発表のすぐ後に、ソニー新製品の発表をしてたけど、ソニー関係者はかなりキビシイ物があったでしょうねえ...このままじゃ出す前から敗戦確定になってしまうとしか思えん...

 ガラパゴスは早々に撤退しちゃったし...でもこれでソニーが巻き返したら歴史に残るでしょうけどね。もうこうなると超売れ線コンテンツを見つけて、ハードじゃなくてそっちの方に投資しまくって、独占コンテンツ増やすしかないかも。

 もう日本勢完全に押されまくってるもんなあ...なんとかしないと、ほんとヤバイっすよね>日本。

 今やってるアニメは結構キラーコンテンツっぽい気がするんだが...どうすか?投資しません?>ソニー様(笑)




フウジンライジンのデモ録り

 フウジンライジンの2人が来て、仮歌入れ。

 関係者激怒のアレンジか?でも良いや面白ければ、という状況で録音してみました。彼らのステージは5日に Fiat Space であり、その後は、新たな場所で再スタートする予定です。

 新たな場所については詳細決まったらまた書きます。今までとは全然違う方向性でやろうと思ってます。ま、プログレじゃないっすけどね。

 んで、来年のテレビの方も15話分決定稿が来たので、少しずつ読み中。こちらもレコーディングのスケジュールとか決めて行かねばなりませね!




明日録音のオケ完成

 明日デモを録る予定のフウジンライジンの曲、オケやっと今完成。朝になっちまった...

 いかん、寝ます~!


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